新日本書紀-真実の古代史を求めて 新日本書紀-真実の古代史を求めて

高尾山古墳

高尾山古墳の被葬者

 2015年現在、古墳保存と道路建設の両立に向けた施策が検討されている高尾山古墳(たかおさんこふん)という前方後方墳が静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)字北方(きたかた)にあります。この高尾山古墳は、古墳時代最初期の築造と推定され、墳丘長が約六十二メートルで、築造当時の東日本では最大級の古墳です。
 『新日本書紀』は「邪馬台国=大和国説」に基づいていますが、「魏志倭人伝」の解釈等の結果、狗奴国は九州南部に位置することになります。ので、『新日本書紀』からすれば、狗奴国は九州南部にあり、高尾山古墳とは関係無いことになります。
 また、高尾山古墳は、古墳時代最初期の築造と推定されていますが、『新日本書紀』では辛酉の年、301年に即位した神武=崇神天皇が前方後円墳体制を創始し、古墳時代の開始は4世紀になります。
 よって、『新日本書紀』からすると、神武=崇神紀以降の4世紀の人物から被葬者を探すことになります。高尾山古墳の大きさ、埋葬施設から出土した鏡(中国鏡)や高価な朱は相当な貴人であることを示しています。私はその貴人が彦狭島王だと考えています。
 その理由は「高尾山古墳の被葬者」と題したPDFファイルを下のリンクからダウンロードして御覧下さい。


「高尾山古墳の被葬者」A4三枚相当  

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