新日本書紀-真実の古代史を求めて 新日本書紀-真実の古代史を求めて

論文「武内宿禰の経歴と実在」

 『紀年と崩年干支』に基づき、『ヤマト王権の展開』『ヤマト王権の成熟』で得られた武内宿禰に関する研究成果を抽出して構成した論文です。

 武内宿禰の経歴と実在を明らかにしたと考えています。


内容一部引用

はじめに

 武内宿禰(古事記は建内宿禰)は、記紀に見え、大臣を出した葛城・平群・巨勢・蘇我の四氏をはじめ、二十八氏の祖先とされる伝承的人物と考えられている(1)。その後裔氏族は、畿内周辺の豪族とされる(2)。また、極めて長命(3)の忠臣と伝えられている。一部に、七十数歳の実在の人物とする説もある(4)。しかし、日本書紀の紀年はその古い時代のものについて疑問が持たれてきたため、また長命過ぎるが故に、その古い時代に属する極めて長命の武内宿禰はあくまで伝説上の忠臣に過ぎないことで一致する(5)のが通説である。

 しかし、私は日本書紀を研究して、新たな立場(新紀)を得られた。この新たな立場とは、拙著(引用した拙著は総て筆名「高木從人」による著作)『紀年と崩年干支』(6)により、日本書紀の紀年を確定する基本的方法論を確立し、続巻により、確定した日本書紀の紀年の試論(新紀)を提示できたことである。日本書紀の紀年を確定する基本的方法論とは、古事記崩年干支と倭の五王の西暦年(7)等を用いて、古代天皇の在位期間を推定し(8)、各天皇紀の年数から十年の倍数年を加減し、原則としてその在位期間に収めるものである。何倍とするかは在位期間内に収めることを原則として、他の史実との整合性を最重要とする(9)。

 この立場からは、日本書紀の武内宿禰関連記事にも実年代を付与でき、その実年代に基づいて、武内宿禰の生涯が明らかになることが期待できる。以下、新紀年に基づく武内宿禰関連記事の実年代を明らかにしつつ、武内宿禰に纏わる諸問題に挑む。なお、月日はすべて旧暦。年代の入った括弧書きの各条は『日本書紀』のもの。


 この論文は日本歴史学会に投稿し、不採用となったものです。

 同時に、書籍『紀年と崩年干支』も送りました。

 講評は、

「独自の『日本書紀』紀年論に基づくが、『日本書紀』をめぐる史料論などには目配りされておらず、主観的な解釈を提示しているに過ぎない。個々の考察についても、合理的な根拠が示されないまま自説を展開するばかりで、実証がなされず、学術論文の体をなしているとは言い難い。」というものでした。

 私は日本書紀について合理的根拠に基づく客観的解釈を行ったと考えており、不当だと考えています。

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「武内宿禰の経歴と実在」

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